特別機動捜査隊
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特別機動捜査隊
ジャンル
刑事ドラマ
脚本#スタッフ参照
監督スタッフ参照
出演者波島進
中山昭二
青木義朗
里見浩太朗
亀石征一郎
葉山良二
ナレーター篠原大作
大宮悌二
テーマ曲作者小林亜星
音楽牧野由多可
小林亜星
横田年昭とビート・ゼネレーション
ボブ佐久間
作曲あんだんて
オープニング小林亜星
ボブ佐久間
エンディングボブ佐久間
国・地域 日本
言語日本語
時代設定放送時
製作
プロデューサースタッフ参照
制作東映テレビプロ東映
製作NETテレビ
東映テレビプロ・東映

放送
放送チャンネル#放送局
映像形式16ミリフィルム
音声形式モノラル放送
放送期間1961年10月11日 - 1977年3月30日
放送時間水曜日22:00 - 23:00
放送分58分
回数801
特記事項:
モノクロ放送( - 1967年3月29日)
カラー放送(1967年4月5日 - )
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『特別機動捜査隊』(とくべつきどうそうさたい)は、日本テレビ映画による刑事ドラマ、及び1963年日本映画

#テレビ映画は制作:NET東映1961年10月11日から1977年3月30日まで、#放送局にて15年と6カ月間、放映された。全801話。1時間の刑事ドラマでは最多放送回数である。#映画1963年に国内で封切り公開され、製作:東映。

様々な事件の初動捜査を担当する機動捜査隊警視庁及び警察本部に実際に設置されるきっかけとなった。作中では特捜隊(とくそうたい)と略されることが多い。
テレビ映画
概要
内容

国内初の1時間テレビ映画として毎週放送が始まった。基本プロットでは事件発生のいきさつから犯人逮捕までの過程における捜査活動を重点を置いており、レギュラーの立石主任をはじめ登場する刑事たちは、話を転がすための進行役という扱いだった。基本作風としては事件発生から解決までを時系列で描き、登場する刑事も前面に出るのではなく、あくまで事件や犯人に描写を置くストーリー構成だが、世相を反映したエピソードも多数作られた[1]。毎回出てくる「警視三〇三、直チニ現場へ急行セヨ」の台詞や「通報を受けた特捜隊○○班は直ちに現場へ急行した。」のナレーションは本作の代名詞ともなった。ただし最初期はナレーションが無くタイトルバックのみであった。また、アメリカ合衆国の『アンタッチャブル』の要素が色濃く取り入れられて居る事が特徴である。リアリティを与えるため、警視庁から実際にあった事件の素材の提供を受け、それをフィクション化するという手法が用いられた。これにより、それまでタブーとされていた事件の発生描写が細かく描かれ、そのインパクトが視聴者を引き付ける結果となり、第1話では38.7%を記録[2]}}。それ以降で30%以上の視聴率をマークした。年々凶悪化する犯罪の初動捜査を確実にするため、1959年4月に警視庁刑事部捜査第一課に「初動捜査班」が設置されたが、NETテレビの大株主である東映がこれを知ると、大川博がテレビ映画化を決定した逸話がある。1963年4月には警視総監の任に就いていた原文兵衛が、本作のファンだったので、それまでの「初動捜査班」を「機動捜査隊」と改称し、捜査第一課から独立させ、これが現在全国警察に49隊(警視庁3隊・他の道府県1隊)ある「機動捜査隊」となっている[注釈 1]
各班

初期は立石班のみだが、代打的存在として藤島班を設定したのを皮切りに、2?3班によるローテーション(時には合同)方式に変更された。2班体勢定着後は、回によって両班の所属刑事の混成チームが登場していくようになる。登場する各刑事の基本的な人物設定などは一切設けられておらず、回によってはレギュラー刑事の役者が代わったり、階級序列が逆転するなどの現象が見られた。階級及び年齢序列は立石班オリジナルメンバーにおいては、立石>橘部長刑事>荒牧>桃井>岩井田>松山と完全固定されているが、それに絡む他の刑事は結構あやふやであり、例を挙げると途中加入の香取刑事はある回では初期から登場している先輩格の桃井刑事から「香取君」と呼ばれていたが、別の回では香取刑事が同じく先輩格である荒牧刑事と対等に会話をしたりしていた。立石班、藤島班では基本的に部下・後輩を呼び捨てにすることはなかったが、三船班では主任に習い部下や後輩に対しては呼び捨てとなった。例外はベテランの部長刑事で、三船主任も「チョウさん」と呼んで敬意を表していた。藤島班の南川部長刑事は「ナンチョウさん」と呼ばれた。橘部長刑事と関根部長刑事が共演する時は橘が「チョウさん」で関根が「関チョウさん」、関根と松木部長刑事共演の時は関根が「チョウさん」で松木は「マッツァン」であった。また、三船は荒牧刑事を「マキさん」、岩井田刑事を「ガンさん」と呼んだ。他にも高倉主任と畑野刑事が警察学校の同期であることから、2人で会話をする時に上司の高倉を呼び捨てにしていたことがあったり、長らく標準語で喋っていた内藤刑事が突然関西弁を喋ったりというような現象もあった。

回数に含まれない特番が2回放送されているが、このうちの1回は第1話の前週(1961年10月4日)に放送されている[注釈 2]。また、正月放映の回では時代劇仕立てのエピソードが作られたり、刑事たちが揃って災難に遭うコメディタッチのエピソードが作られるなど、非常にバラエティ豊かであった。3班時代の末期から特定のレギュラー刑事をメインにした話もしばしば作られるようになり、そして後期になるとそれまで背広一辺倒だった中でラフな服装や、長髪の刑事が登場したりとその時代の刑事ドラマの時流を追いかけた変化もあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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